チェーホフのシベリヤ紀行を読み、現在はどうかと、極寒のシベリヤのタイガ地域のことを検索していたら下記の記事があった。めったにみないシベリヤの記事だ。

 「こうした状況では飢餓は常に目の前にある危機だったが、1961年には6月に雪が降った。厳しい寒気で庭に植えていたものは全てやられてしまい、春には靴や木の皮を食べることを余儀なくされた。アクリーナは子供たちに食べさせることを選び、その年餓死した。残された家族は、彼らが奇跡と信じる出来事によって救われた。一粒のライ麦が豆畑で芽を出したのだ。ライコフ家はその芽のまわりに柵を立てて、ネズミやリスから昼夜を問わず必死になって守った。収穫の時期がやってくると、そのたった一本の穂には18の実がついた。そこから苦労を重ねて彼らはライ麦畑を再建したのだった。」
 彼らを1978年に発見し見守った探検者らが後日別れるときには6人の家族のうち生存した70代の娘はたった一人でこの山に残ったという。1988年のことだ。

https://onedog.hatenablog.com/entry/2015/10/24/012506

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